
わざわざ覚えるのも歌うのもダサいからカラオケ誘われても断ってるし、行ったこと何回かあるけどずっと飯食ったり隣のやつと喋っとるわ。
陽キャとやらはなんとも思わないの?
他人の歌を評価したり盛り上がるのはまだわかる
歌は作品やからな
好きな小説でビブリオバトルするようなのもわかる
でも、他人の歌を歌うのはやっぱりダサくない?
>>4
手段を用いるのはダサくないよ
車乗るのも服を着るのもダサくない
しかし、感性は独自のもんやのにそこを他者に頼りだからなのは自我のない人形みたいで不気味じゃないか?
じゃあ深い意見言ってみろよ
言わなかったらお前の負け惜しみな
浅いこと言ってることにたいして深いこと言えって反論ダサすぎる子供かよ
>>13
自分で作詞作曲した歌に感動するのはダサくないよ
小説読んだり芯を食った説教聞いて感動するようなもん
なんで歌に感動するのがダサいんだ?
他人の歌を歌うのがダサいならって前提やで
>>27
だから、例えば、三島由紀夫の小説を読んで感動するのは理解できるんだよ
なぜならあれは三島本人の美意識や感性を彼自身の言葉で表現されてるからな
そんで、三島の小説を我が物顔で音読してるやつがいたらどうや?
「なんやこいつ」ってなるやろ?
それと同じで自分の言葉と自分のメロディで表現された歌に感動するのはわかるが、他人の言葉と音楽で自己主張してるフリしてるやつをみると「いやいや、お前他人の言葉なぞってるだけじゃん
」ってなるわけ
ごめんちょっと複雑やった?
例え話下手やな
本はそもそも音読する必然性がないから歌の比較対象として不適切
>>43
それは確かにそうやわ
ちょっと例え変える
例えば、太宰治の文章をそっくりそのまま書いて自己憐憫に浸っているやつがいたらどうや?
俺は「太宰治になりきってるだけやん寒いなコイツ」ってなる
宇多田ヒカルが歌うのはわかるが、宇多田ヒカルの歌をそのまま歌って哀愁に浸ってるやつを見ても「宇多田ヒカルになりきってるだけやん寒いなコイツ」ってなる
そんなやつおらんわ
ショートムービーのネタに引用するとかならよく見るけどな
例え話するのダサいからやめなよ
そうなんだよ
自分で表現すればいいけどみんなそれができないからってさも当然かのように他人の言葉を借りて高らかに歌ってんだよ
自己陶酔に浸ったりしてな
「うっせえわで若者代表みたいなポジションになったけど本人作詞してないじゃん!」みたいな
秋元康「えっ」
>>18
俺の主張はそれの拡大解釈ってとこかな
作詞してないやつが歌うという点では歌唱力だけで作詞できない歌手も、それを聞いて自分で歌っちゃうやつも同じ
ビジネスチャンスとしか思わんやろ
対応とかじゃなくて
自分の主張をしろよ
そうやって逃げ続ければええよ
だっせー
>>37
逃げてんのはどう見てもお前だろ
俺は主張してるんだから
お前も茶化すんじゃなくて主張しろよ
俺は逃げずに堂々と主張してるのになんだお前は
カバー専門みたいになってる奴に対してだったらちょっと分かる
モノマネは違うよなっと
ただモノマネから超えた奴は許せる
別にそれを否定する意味もないし
じゃあ「聞かなきゃええやん」で終わる話やな
どういうこと?
つまり教養のある人間は他者の歌を歌うことにちゃんと意味や価値があると確信しているってこと?
>>56
歌手と作曲家や作詞家が別なことに対して違和感を抱かないんじゃない、
何故なら歴史的に見てそっちの方が普通な期間の方が圧倒的に長いし
って話
あと歌詞って聴いてるみんなに刺さるもんがあるわけやん
なら別に作詞家とそれを歌う歌手の間でそれが起こっててもおかしくないでしょ
つまり作詞家という他人の言葉に感情移入するな、っていうならそもそも一般リスナーも否定する様なもんやん
誰が歌ってるかどこから来たかってよりどんな歌詞を歌ってるかが根本的に重要なんじゃないかと思った
>>74
刺さるのはわかるんだよ
感情移入するなとはいってなくて、他人の歌を自分の大事に温めてた感性を披露するかのように振る舞うのが気持ち悪いだけ
感性なんて千差万別で同じものなんか二つとしてないのに完全に同期してるように歌うのがスゲ違和感
お前が歌詞なんかにそんなに重きを置いてるのがまずきめーよ
なんでお前らそんなに歌詞が好きなの?
スポーツで汗を流すのと同じ行為
とにかく取り組んでみて欲しいわ
っぱ自分で会社作って飯食うべきだわ
引用元: https://nova.5ch.io/test/read.cgi/livegalileo/1779361581/
「分業」から紐解くヒット曲の裏側:作詞・作曲・歌唱の分離が生み出すポップカルチャーの構造
私たちが日常的に耳にするヒット曲の多くは、必ずしも「歌っている人」がその言葉やメロディを生み出したわけではありません。現代の音楽シーン、特にポップカルチャーの領域においては、作詞家、作曲家、そして歌い手(パフォーマー)がそれぞれの役割に特化する「表現の分業制」が広く定着しています。すべてを一人でこなすシンガーソングライターが評価される一方で、なぜこの分業システムが長年にわたりエンターテインメントの中心に君臨し続けているのでしょうか。その背景には、単なる効率化を超えた、表現の最大化を生み出すプロフェッショナルたちの緻密なビジネス構造が存在します。
歴史が証明する「作るプロ」と「届けるプロ」の相乗効果
音楽の歴史を振り返ると、表現の分業制は決して新しいものではなく、むしろポップスにおける王道のアプローチとして機能してきました。古くはクラシック音楽における作曲家と演奏家の関係、日本の伝統的な演歌や歌謡曲、そして現代のアイドルカルチャーやダンスミュージックに至るまで、作り手と歌い手が分かれているケースは圧倒的多数を占めます。
この構造が強力なヒットを生み出す理由は、それぞれの分野の「一生物の技術」が1つの作品に結集する点にあります。
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クリエイターの客観性: 自身が歌わないからこそ、時代の空気や大衆が求めている潜在的な欲求を客観的に分析し、普遍的な言葉やキャッチーなメロディに落とし込むことができる。
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パフォーマーの肉体性: 楽曲のメッセージを優れた歌唱力やビジュアル、卓越した表現力によって肉体化し、クリエイターの想像力を超える熱量で聴衆へ届ける。
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楽曲の多面性: 異なるアーティストが同じ楽曲を解釈して歌うことで、作品自体に新たな命が吹き込まれ、時代を超えて歌い継がれるスタンダードナンバーへと昇華する。
このように、職人としてのクリエイターが「弾丸」を作り、スターとしてのパフォーマーがそれを「放つ」という役割分担こそが、個人の才能の限界を超えた巨大なムーブメントを可能にしてきたのです。
シンガーソングライター信仰の変遷と、現代の新たな表現スタイル
その一方で、1970年代以降のフォークやロックの隆興とともに、「自分の言葉を自分で歌うことこそが本物の表現である」という、いわゆるシンガーソングライター信仰が強く根付いたことも事実です。これは個人のプライベートな感情やリアルな生き様に価値を見出す文化から生まれました。
しかし、現代のデジタルネイティブ世代においては、この対立構造がさらに新しい形へと変化しています。例えば、インターネット発のボーカロイド文化や、楽曲提供をベースに活動する新世代のアーティストたちは、作詞・作曲をしていないからといってそのアーティスト性が否定されることはありません。むしろ、「他者が作った高度な世界観を、自らの圧倒的な表現力で乗りこなす姿」そのものが、新しい形のオリジナルとして熱狂的に支持されています。
現代のリスナーは、「誰が作ったか」という源流の純粋さだけでなく、「その楽曲が自分の感情をどれだけ鮮やかに代弁してくれるか」という体験の価値を重視しています。分業制が生み出す緻密に計算されたエンターテインメントは、個人の日記のようなリアルさとは異なるベクトルで、私たちの心を深く揺さぶり続けているのです。
9999: V系まとめ速報がお送りします 2099/0/00 99:99:99
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コメント
コメント一覧 (46件)
国歌歌えないし、ハッピーバースデーも歌えない
シンガーソングライターが至高という考え方だと限界あるぞ。
スターになれるのは99%の裏方がいるからやぞ。
ジョンライドンとかって演者の才能しかなくて、作曲とかプロデュースの才能は一切ないけど
それでかっこいいので。 というか才能って多様だと思いますよ。演じるのも才能。
エルヴィスもだな、ほとんどの曲は外注
というかカントリー曲をエルヴィスが歌ったらそれがロックになった
作曲やらない奴がロックというジャンルそのものを爆誕させたんだよ
むしろ純粋に歌を歌ったり、楽器弾くことを楽しんでない奴のほうがダサいと思う
その延長で音楽やってる人はカッコいいけど、いっしょにカラオケ行っても楽しいけど
自己表現と周りからどう見られるかどうかしか考えてないオ〇ニー野郎が音楽利用してるだけのパターンがカッコいいとは思わないし
そういう奴といくカラオケとかそういう奴のライブはオ〇ニー見せられるだけで何も楽しくない
スーパービーバーとかボーカルが作詞してない
ビーバーはキングヌーと違ってソングライターがもっと自己主張してもいい
歌詞の印象から自分が書いた歌詞を歌う方が断然説得力あると思う
あのボーカルだとv系くずれのちゃら男が説教臭く歌ってるようにしか見えない
声は楽器なんだから、誰が作ってようが楽器が変われば音楽は変わる
ホワイなぜに?
入りがカラオケの話でそっちかーい!ってなったわ笑
まあ最適解が出てるのになぞる意味がわからん。と言いたいのならゲームもできんしスポーツもできんやん。
美空ひばり、山口百恵、沢田研二、布施明、ピンクレディー、松田聖子etc
昭和時代のメジャー歌手全否定だなw
他人が作った歌で邦楽アーティストのビルボード最高位を記録したVEB.Yメタル
ダサいどころか最高に格好いいな
ちょっと気持ちはわかるかな
よっぽど歌が上手い人以外は、基本的に作品を作り出してる人の方が断然すごいと思う
カラオケは娯楽としていいと思うけど、歌ってみたとか歌い手みたいなやつね
もう絶滅したかもしれないけど、あれはクソダサい
ちなみにバンドでボーカル以外が作曲してるとか、他の人が作詞作曲してて歌ってる歌手なんかはいいと思う
すでにできている作品を「ほら、俺うまく歌えるでしょ」みたいに世間に公開してるのがダサいと思う。という個人的な意見
カバーなんてプロですらしてるんだし、別にええやろ
ええ歌は誰が歌ってもええ歌や
ダサいとまでは言わんけど、自己表現の仕方として中途半端やなぁって気持ちになるわ
そういうアレンジもあるんかーって感じることもあるんやけどな
売れた漫画のスピンオフ漫画とか見ても同じように思うことある
歌手を否定する意見には明確に反対。多くの作詞家、作曲家が裏方に徹するのは、自分が産み出した作品の価値を自ら毀損しない為だ。
多くの歌ヘタシンガーソングライターには、お前が歌うなと言いたい。
オペラ歌手や声楽家はダサいってこと?
自分で作ったのがめちゃくちゃダサかった…
趣味娯楽でしかないカラオケにまでそれ言うのはアホやなと思うけど、素人がYouTubeで歌ってみたとかカバーとか公開してるのは恥ずかしくて見れないからまあうっすらわからんでもない
そういうスカしてる奴が一番ダサい
作った曲や歌の権利を主張する方がダサいぞ
中二病こじらせてるなー
小泉今日子に対して「他人の褌」呼ばわりしたアホを思い出す
歌手が作詞曲してるか確認するまで感動していいか保留するのか?
秋元グループの曲は、秋元の顔を思い浮かべながら聞けよ
こんなクソネタに釣られるなお前ら
元スレイッチは一次創作至上主義で利用者側を下に見ているのかな。それかまだ幼いか。
世の中必ずしも「自分の主張をしないといけない」ばかりじゃないんだよ。
人間の営みには共感・投影・共有・共同作業といった情動行動やコミュニケーションもあるから
音楽も聴き継がれ歌い継がれカバーし継がれてきたんだよ。
元スレイッチは人間(他人)の共感性や自己表現の発露への理解が乏しいのか、低価値に思ってるのかなあ。
1はまとめサイト用にアクセス稼げるスレ立ててんだよ
確かに下に見てるだろうな
こういうスレ立ててまとめたらつられまくるお前らのことを
実際こういうふうに思ってる人は他にもいるだろうし、オレ自身もそう思うことがあるから、むしろそれぞれ意見出しあってあーだこーだ言い合うのに丁度いいなと思ったわ。
オレは可哀想な奴だから、誰にも相手にしてもらえんけどな。
釣られてる身で俺等って言えないのダサすぎるやろ
他人の歌を歌うのがダサいかダサくないかは一旦置いといて、
オレは歌は演技と一緒だと思ってる。
音程とリズムを完璧にとっててもただ歌詞をなぞってるだけだとなんの感動も生まれない。
感動する歌には歌い手の経験や感情がのってる。
演技にリアリティが出るのは真に迫ってるからだと思うけど、作った人間の意図を完璧に理解できたとしても、それにそう感情(表現)は演者が自分の中から引き出すしかない。
だから作り手側「自分の想像を超えてきた」とか「自分より本物だった」とか言うことがたまにあるけど、これは演者が作り手の意図と自分の感情をうまく混ぜ合わせられた結果、曲にそう精度が高い出力ができたからだと思う。どれだけ言語化能力が高かろうが、感じてることをそっくりそのまま言葉にするのは不可能に近いからね(じゃないと比喩表現なんてものは生まれてない)。作り手が形にできなかった分を補完してより「本物」に近づけるのが歌手や演者。
演技の世界だとよくアドリブが話題になるけど、特にジョーカーなんかは演者がジョーカーになりきりすぎてジョーカーらしいアドリブを入れてたみたいな話を聞いたことがある。
歌にもこれがある。玉置浩二なんかはそれだよね。作り手の想定した表現(音程やリズム)をあえて崩して自分の表現を優先する。結果とてつもない感動を生み出す。もちろん外してしまうときもあるみたいだけど、演技や歌なんてのはそんなもんだと思う。トータルで当たってる割合が高ければ良い演者、良い歌手だと思うね。
歌手の側からしても、自分の感情や表現をのせやすい歌詞や曲があるから、それによって当たり外れある感じだね。何でもかんでも感動できる完成度にもってける歌手はそうそうおらんと思うよ。
ある種のシャーマニズムというか、神(作り手)と預言者/巫女(演者や歌手)の関係に近いのかもね。
さらに聴き手側にも依存するね。
曲の世界観に感情移入できるかとか、歌手のバックグラウンド(人生とか人間関係とか)の情報があると感動が増したり逆にブーイングが起こったりする。
「下手なのに何故か感動する」とかよく言うじゃん。それには↑のような理由があると思うね。
今は音程とかリズムとか調整すること多いみたいだし、きちんと合ってる音源のが良いみたいな風潮だけど、それによって「ブレ」が減って感動も減ってんじゃないかって思わなくもない。
声のゆらぎ?ってけっこう大事なんだよなぁ。だから声質からして大勝利してる歌手もいるし、そういう人はこったことしなくても感動できる。これはある種のチートだね。
Adoの「うっせぇわ」は、オレも「作詞作曲した奴が歌えよ」って思うよ。あんな攻撃的な歌詞を他人に押し付けるな。叩かれるのはたいてい歌手なんだよ。何故か作詞作曲家より歌手の方が注目されるからね。いい迷惑だわ。
てか、イッチは、あまりにも真に迫るカバー(歌手)を知ってて、それに畏怖とか恐怖を感じてるんじゃないの?
オレもAdoの曲にはすごいイライラするよ。彼女は小悪党みたいな曲を歌わせるとうまいね。そのくせ被害者面するからイライラが加速する。
たしかに、作詞作曲歌唱をすべて1人でこなした方がすごく感じるし、作る方としてもそれができるならそうしたほうが楽だよ。
でも一流とか超一流とかになると、「これは自分でもできる。でも、あの人がやった方がもっといい作品になる」って思っちゃうんじゃないかな。
他人とコミュニケーションをとるめんどうくささや自分のプライドよりも、作品の完成度の方を優先する職人じみたこだわり。
歌に意味を持たせすぎ
歌手でもない人が歌を歌うのは、歌詞に込められた想いを伝えたり広めたりしたいからじゃなく、歌いたいから歌うんだよ
歌手だって歌いたいから歌ってるけど?
こういう事言ってるやつの顔面見てみたいわw
例えに自己弁護が入りすぎて下手くそやけどようはバッハやモーツァルトが作った曲弾いてる人らはダサいってとこやろ、頭おかしいね
楽譜の存在意義を否定しとるわ
ダサいダサくない以前に企業が出してる商業作品だって事実を忘れてるんじゃないのか
だいたいのシンガーソングライターにはプロデューサーがいる
小説家にも編集者がいる
つまり他人の意見や意向は必ず入っている
日本人は曲より人で聴くから誰が作ってるとかやたら拘るんだろうな
本来曲が良ければ誰が作ってようがいいんだけどな
だからストリーミングとか曲のデキ関係なく人気投票みたいなランキングになってるし
曲よりファンの多さで順位が決まるみたいな
音楽だけじゃなくて実写もそうだしな
内容より誰が出てるかで見る作品決める
ドルオタ層あたりはそうだろうけど
日本人全体は別にそうでもないだろう
映画ならジブリブランドの新作でも気に入らなかったら見に行かないし…。
中村俊輔だって木村氏のフリーキック真似して研究してたらああなったんやで、、
そうだね、まったくキミの言う通りだ
100%同意するよ
国を作りそうなイッチやな
とても詳しい説明、ありがとうございます。
「この歌詞は私の言いたいことです」って発言してるら「ん?あれ?」ってなるのも解るけど、そう言ってないならボーカルも楽器の一つでしかないってポジションだろ