GLAY
赤:TERU
青:TAKURO
紫:HISASHI
桃:JIRO
黒:ナレーション(戸次重幸)
緑:大泉洋
ナ:SONGS、今夜はGLAY。言わずと知れた日本を代表する4人組ロックバンドだ。
デビューしてから今年で25周年を迎えた。その間、活動を一度も止めることなく走り続けてきた。そんなGLAYの四半世紀の真実に同じ北海道出身の大泉洋が切り込む。
今夜、4人の絆の強さとGLAYサウンドの真実に迫る。
-スタジオライブ『口唇』(番組史上最大規模1000人)-
ナ:今年デビュー25周年を迎えたGLAY、今回4人に答えてもらったアンケートに基づきバンドの真実に迫っていく。
と、その前に責任者・大泉洋が一言言いたいらしい。
大泉:SONGS今日30分番組なんです。もちろん皆さんの歌もあるし。ほとんど(トーク)使われないですけどね。(一同爆笑)
HISASHI:だって俺90分って聞いたよ
TERU:1時間半って書いてたもん
TAKURO:すげーアンケート書いたよ
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ナ:責任者・大泉洋が切り込むGLAYの真実。まずは一つ目の質問。
Q:アンケート1問目
25年で一番つらかったことは?
大泉:(アンケート1問目の回答読み上げ)上京して間もなく東京の女にこっぴどくフラれて音楽も夢も何もかも嫌になり「函館に帰る」とTERUに言った。
TAKURO:誰よ!あれ、おかしいな。その後にTERUに言ったら電話口で怒られたっていうのを。そこカットされてるよ。
大泉:これTAKUROさんということですね。
TAKURO:洋ちゃん東京の女はやばいよ
大泉:何年くらいのお話なんですか?上京して間もなくって
TAKURO:んー、上京して2,3年?
TERU:91年とかそれくらいか。しかも酷いのが、「帰るわ。どうしたの?いや、つらかったから。曲と詩だけは送るから」って。ブハハハハハ(笑)
大泉:とにかくもう東京には居れんってことですか?
TAKURO:居れない。もう夜行列車で北に向かうと。だけど「TAKUROはふがいないよ!」って今でも目を閉じるとあの声がきこえてくる。
大泉:それはTERUさんが?
TAKURO:TERUの「盛り上がって行こうぜ!」と同じテンションで「ふがいないよ!」
そうかぁふがいないか・・・ちょっと頑張ろうかなって。
HISASHI:考えてることは今っぽいんだよね。どこに居ても曲はできるっていう。
ナ:函館の高校の同級生をベースにバンド活動を始めた。1990年にプロを夢見て上京。なかなか芽が出ない生活でつらかったこととは。
TERU:当時はとにかくお金がなかったことが、ご飯食べようにも食べれなくて。よく家でご飯にジンギスカンのタレかけて食べてるって状況でしたね。
HISASHI:俺はあれが大変だったな。お金なくて電話。まだ電話の権利を買う時代だったんで。上京してから何か月間かはメンバーと連絡取れなかったりしました。
TAKURO:でも練習(バンドの)しなきゃいけないから、人生で初電報がHISASHIに「ライシュウ カヨウビ アカバネニ シュウゴウ」全部カタカナで送った。
HISASHI:電報初めてもらったんだけどさ、鬼気迫るものあるねやっぱり。行かねば!と思った。
ナ:そんな時代を乗り越え、1994年にデビューしたGLAYは2年後に『グロリアス』をヒットさせる。その後も『BELOVED』などヒット曲を次々と生み出した。1997年には紅白歌合戦に初出場。国民的なバンドに成長した。
さらに、デビュー5年にして行われた野外ライブ前代未聞の20万人を動員。バンドは破竹の勢いで突き進んでいく。
しかし、売れたら売れたで新たな悩みが生まれた。
大泉:(アンケート1問目の回答読み上げ)98年頃、連日テレビやライブで疲労が重なり、喉に結節ができて一週間筆談で話をした。歌ナシでリハーサルをしたのがつらかった。
TERU:自分がボーカリストして一番つらいのが歌えないことだと思うので。で、リハーサルとかでも声出しちゃいけないということで筆談して、1週間のうち4日連続でリハーサルやってずっと筆談用のプレート持ってずっとみんなが演奏してるのを見てるっていう。
TAKURO:その前のスケジュールがホントにもう都道府県ツアーとかやってる合間に歌番組とかやってるから、例えば群馬やって福島だったら。行ったら(移動は)すぐじゃん。だけど一回東京に帰ってきて歌番組やって、だから夜走みたいな感じになって。
ある日、テレビ局でTERUが居ないってなって、テレビ局のトイレでなんかこう「ンーーーーーーーーーーンンンン」みたいな声が聞こえて、それでTERU、TERU(トイレのドアをノックするジェスチャー)って言ったら「なんでこんなに無理しなきゃいけないんだ。一生懸命やってんのに、ツアーも大変だし、スケジュールも大変だ」って言っててドーンッって壁殴って「手がへくせになるよ。へくせになるからやめな」って言った。【※へくせくなる=かっこわるくなる】
「喉もへくせくなるし、手もへくせくなるから物に当たるのやめれ」で、ガチャって出てきて「頑張るわ」って絶え~間なく(HOWEVER)って。
HISASHI:これけっこう感動的な話なのになんでそっちに持っていくの
大泉:どうなんすか、当時のロックバンドはみんなそんなに忙しいスケジュールだったんですか?
TAKURO:もちろんバンドブームでもあったから色んなバラエティやそういったトーク番組、雑誌、ラジオ。あらゆる、昔だと考えられないような多方面の展開になってた時期。向き不向きあるじゃん?それがコンサート活動を圧迫してた。それはやっぱりバンドをずいぶんと疲れさせた。
大泉:実際その時に解散の危機みたいなのはあったんですか?
TAKURO:20万人ライブもやったし、100万枚も売れたし、お金なんかもらったって使う時間もないし。で、それこそ彼女にも会えないし。もう何のためにやってるのか分からなくなってきてバンドも疲れてこれ以上無理だってなったのが1999年。
あとなんかY2K問題もあるらしいし、地球滅びるかもしんねーじゃんみたいな感じで、辞めよう(GLAYを)みたいな感じになったのね。
で、カウントダウンライブとか紅白歌合戦とか華々しい感じで99年を終えて、もう自分たちの中では終わりだと思ってたのよ。で、じゃあ解散するということで家(TAKUROの)で新年会でもやるか。それで思い出話でも語ろうぜって。TERUどうすんの?(今後の活動)って聞いたら「俺はシンガーとして頑張るわ」と。「つきましては、TAKURO曲書いてくれる?HISASHIいいリフつけて。JIRO分かってるよね?」って。んー、じゃあそれGLAYじゃねえかなって。
だんだんみんなベロベロになってきって「やめるのやめる?」って。
HISASHI:俺けっこう覚えてるのが、あの時じゃあインディーズから始めよう。って話になったの4人で。そしたら酔っぱらってるし逆にワクワクしてきちゃって。あそこのレーベルが、あのやり方いいとか、そういう記憶がありますね。
この4人がいればおもしろいのかなって。
TAKURO:やっぱり(GLAYという)名前は使えないよねって。
函館ボーイズでいいかって。
あの時メンバー吹っ切れたよね。だからバンドにおいて解散は死を意味するわけだから、そこを一回覚悟したバンドは強いよ。それは周り見ててすごく思う。
ナ:バンドが解散を意識した年に生まれた曲『Winter,again』ふるさと函館を歌った原点回帰のこの歌は4人の結束をより一層強めた。GLAYにとってかけがえのない一曲だ。
TAKURO:この曲(Winter,again)はGLAYがGLAYであることの証明みたいな曲で最初にレコーディングしてる時はイメージ通りになかなかいかなかったの。それで色々試行錯誤するんだけど上手くいかなくて、うわぁーってなって。違う。イントロのイメージは雪虫がチラチラして、あんな感じって。って言ったらそういうことかって。
バンドってじゃあ何をもってしてバンドかっていうのは譜面に起こせないことを演奏できるのがバンド。と思った最初の曲だよね。
Q:アンケート2問目
25年で一番うれしかったことは?
大泉:(アンケート2問目の回答読み上げ)今年の8月のメットライフドームで行われたライブ。メンバースタッフ、ファンと喜びを共有できた。
ナ:今年8月スタジアムライブに2日間で6万人を動員。四半世紀にわたってファンと積み上げてきたものを出し切る記念碑的なライブとなった。
JIRO:20周年の時と25周年の今年、違うと思うのはファンの人たちが育ってきてて、僕あのやっぱりこうファンの人たちからファンレターとかもらって、子育てと産休でGLAYのライブお休みしてたんだけど子供大きくなったので旦那に預けてきました。とかっていう手紙がここ最近すごい多いんですよ。そういった手紙にいちいち感動してる自分がいて。そこで初めて周年というものを意識したんですよ。で、その時にメットライフドーム、あの日も気温36度だったんですけど、あの中は多分40度くらいまで上がってたと思うんですね。その中でみんなが一生懸命声援送ってくれたりとかしてて、本当に感動しました。
大泉:TERUさん服装がものすごい熱い格好してませんでした?
TERU:間違った
TAKURO:何年やってんだ
TERU:なんで半袖じゃないんだろうって
大泉:それはご自身で選べる(衣装を)わけですか?
TERU:そう、衣装さんと一緒に相談しながら。ひと月くらい前から打ち合わせしてるんだけど、ひと月前はまだそんなに暑くなくて・・・ブハハハハハ(笑)
ナ:25年間ひたすらに走り続けてきた。今、GLAYの音楽に変化が表れている。
TAKURO:今回アルバムを作るにあたってメンバーと話をして、ある意味ポップでコマーシャルな作品を出してきたから「みんなの心の底にある声を曲にしてほしい」っていうオーダーを出したのね。そしたらね、TERUが『COLORS』って曲を書いたんだけど、それの詩が素晴らしくて、あの今の俺たちの年代って子供たちも居るけど両親も(年齢的に存命)っていうちょうど間の世代50歳ちょっと前っていう。
で、お互いの気持ちが分かるってところにTERUがTERUのお父さんとの関係を歌にした。
それがもう俺は12歳から知ってる(TERUのこと)から、俺は父親がいないから父子の関係知らないんだけど、(詩を見ながら)こういう親子ってすごくいいな。羨ましいなって。
25年やるってことは『COLORS』のような歌ができることなんだと。それを自然に歌っていけるバンドでありたい、それを許す、許される環境でありたいなって。
これじゃあマーケットの中心である20代に刺さらないよっていうのではなく、でも必ずどの人たちでも当たり前だけど歳をとるわけだから、いつか俺たちの気持ちを分かってくれるだろうって。それくらいの余裕は持ったかな。
-スタジオライブ『COLORS』-
「COLORS」ミュージックビデオ
https://www.youtube.com/watch?v=IZ0nb2ZiovE
再放送:10月12日午前1:40~午前2:10
コメント
まだ見れてないけど書き起こしうれしい
たのしい雰囲気がわかる
JIROさん流石に老けてきたなあ
デビュー間もないころからインタビューのノリがずっと一緒だなぁ
ほっこり
ふーんとしか
きよてる ふとしくん あまがっぱ グレイ
ヒサシ2人いるぞ
テルの喉は大丈夫なんだろうか…
「へくせくなる」って北海道弁ってより函館近郊の浜言葉なんじゃないかなぁ?札幌人だけど初めて知ったわ
まぁ「そだねー」も使ったことなかったし(あれは道東でおおい)北海道は地域差がでかそう
函館近郊の言葉ってのは多分そうだと思う
へくさい=格好悪いとかダサい、冴えないって意味
へくさくなるが訛ってへくせくなるだね
多分漢字だと屁臭いだろうな
最近は全く使わないけど、小学生くらいの頃は「あのロボットへくせえな」とか言ってたわ
先週にNHKのなんかの番組で歌ってるのみたけど酷かった
もう最近は常にあんな感じなんだろうか
7月に民放の音楽特番にも出てたけど
その時も全部の番組であんな感じだった
宣伝のつもりで出演しているんだろうけど自主的ネガキャンにしかなってない
声が変わっただけだけど
一般人からしたら今の声に違和感覚えるんだろ
COLORSが傑作なだけにすごく悲しい
昨日のは先週より大分マシだった
声自体がそもそもはっきりしないというか不調感あったけど歌えてはいた
スロースターターだからライブでは声出てるみたい
というか、昔も多忙な時期とか声出てないのザラだった覚えがあるんだが
その印象があるから、ライブ行くと「声出てるじゃん」ってなる
昔はテレビで声出てる時もあったけどな
誤字が多くて気になってしまった
タクローの喋り面白かったわ
もうメンバーの仲の良さとタクローの天然ボケぐらいしか見所のないバンドになってしまったな
だったら今後は音楽なんかやらずにトークイベントでもやっとけばいいね
見所なくても聞き所はいっぱいあるやろ
winter,againの神ベースラインが五臓六腑に染み渡る。大サビのギターソロはCD通りの方がwinter,againぽいのでそっちでやって欲しかった。年末年始のツアー頑張ってください
アルバム買ったでー