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この曲とか普通に好きなのにラップパートだけは飛ばしたくなる
ワイのなかの定義としてはクソダサラップとはラッパーやポップスのグループじゃないのに曲の間にラップパート挟んでくるやつのことや
なるほどね
creepy nutsは普通にいいグループだと思うでラップ界隈からの評判は知らんけど
アクアタイムズのラップパートってなんかあったっけ?
ベロニカとか
あれは確かにラップか でも好き
基本的にラップ入りの場合はいいのか?
ちょいださやな まあノれる曲だし許せる
もしかしたら本職のラッパーの人なのかもしれんけどこの曲のラップパートガチで嫌いなんよな これって変か?
>>14
まあダンスフロアの酒乱の雰囲気とかそういうノリの曲ですって言われたらああそうかとなるけど
小沢パートは好きよ
AAAのラップ担当とcreepy nutsとスチャダラパーは一応ラップ界の中ではガチ勢なんちゃうかな
ワイもよう知らんけどスチャダラパーは一応ラップ未開の頃からやってたってことでレジェンド枠ではあるはず
へーそうなんかじゃあクソダサラップ以前にワイはラップが肌に合ってない感じになるのか?
スチャダラパーはこれが真骨頂らしい
ラップ自体は歌唱法でしかないからまあジャンルによるんちゃう
https://youtu.be/XIRNUkQEa1Q?si=zTGahwwTBS2Cdg1B
ほんまや結構緩いんやな
でもこっちはけっこう好きかも
引用元: https://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1771830072/
J-POPにおける「ラップパート」が抱える構造的不協和音の正体
日本のポピュラーミュージックを聴いていて、Aメロ、Bメロと心地よく流れていたはずのメロディが、突如として挿入されるラップパートによって断絶されたような違和感を覚える――。この現象は、単なる個人の好みの問題ではなく、日本の音楽が伝統的に重んじてきた「旋律の情緒」と、ヒップホップが持ち込んだ「リズムの論理」が衝突することで起こる、構造的な摩擦と言えます。
多くのリスナーが「いらない」と感じてしまう最大の要因は、そのラップが楽曲の必然性から生まれたものではなく、楽曲構成上の「スパイス」や「担当割り」といった記号として配置されている点にあります。メロディの美しさを堪能したい耳にとって、突如として音階を放棄した言葉の羅列が飛び込んでくることは、高級フレンチのコース料理の途中に、唐突に刺激の強いジャンクフードを差し出されるような戸惑いを生じさせるのです。
メロディの「情緒」とラップの「数学」:脳が処理しきれない情報の乖離
なぜ、ある種のラップはこれほどまでに「浮いて」聞こえるのでしょうか。その背景には、日本人が長年親しんできた歌謡曲的構造と、ラップという表現形式が持つ根本的な性質の違いがあります。J-POPの王道は、母音を長く引き伸ばし、旋律の上下で感情を表現する「ウェットな叙情性」にあります。これに対し、ラップは子音を強調し、一定の拍数の中にいかに言葉を詰め込むかという「ドライな数学的リズム」を基盤としています。
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音節構造の違い: 日本語は一音一音に母音が伴うため、英語に比べてスピード感を出しにくく、無理に詰め込むと「たどたどしさ」が際立ってしまう。
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カタルシスの所在: J-POPリスナーは「サビ」での旋律の解放を期待するが、その直前にリズム重視のラップが入ることで、感情の蓄積がリセットされてしまう。
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文脈の欠如: ラッパーではない歌い手がラップを披露する場合、そのスキル云々以前に「なぜ今、この人がラップをする必要があるのか」という説得力が欠けやすい。
このように、音響心理学的な側面から見ても、流麗なメロディラインと打楽器的なラップは、脳内での処理モードを切り替える必要があり、それがスムーズにいかない場合に「ダサさ」や「異物感」として知覚されるわけです。
記号化された「ストリート感」という商業的コスト
もう一つの深掘りすべき視点は、制作サイドにおける「ラップ」の扱いです。特に2000年代以降、多くのポップグループにおいて、ラップは楽曲の音楽的質を高めるためというよりは、グループ内の役割分担や、楽曲に手軽な「ストリート感」や「今っぽさ」を付加するためのツールとして消費されてきました。この「とりあえずラップを入れておけば若者層に刺さるだろう」という安易なマーケティング的発想が、結果として作品全体の整合性を損なう要因となっているのです。
本来、ヒップホップにおけるラップは、演者の生き様や独自の言語感覚を吐露するための「切実な表現」でした。しかし、J-POPという大きなシステムに組み込まれた瞬間、それは歌詞カードの空白を埋めるための「機能」へと成り下がります。聴き手は、そこに込められた魂の欠如を敏感に察知します。つまり、「ダサい」と感じる正体は、技術的な稚拙さ以上に、そこに漂う「やらされている感」や「演出としての薄っぺらさ」に対する拒絶反応に他なりません。
音楽は本来自由なものですが、異なる文化圏から来た要素を融合させるには、単なる「切り貼り」以上の深い敬意と解釈が求められます。私たちが本当に求めているのは、メロディの隙間を埋めるためのラップではなく、その言葉でなければ到達できない場所へ連れて行ってくれるような、必然性のある叫びなのかもしれません。
9999: V系まとめ速報がお送りします 2099/0/00 99:99:99
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コメント
コメント一覧 (34件)
佐野元春も吉幾三も知らんZ世代か
へえ、その人らJ-POPなんか
ミクスチャーとヒップホップの相性が良すぎて、アイドルがそれを真似してダサくなったという印象
スチャダラはデ・ラ・ソウルがルーツだから、平和的で面白いのが特徴。
だからギャングスタのいきりラップとは比べられない
デラソウルのバルーンステイトのアルバムで高木完とスチャダラパーがいきなり客演してきたときは萎えたわ
日本人はドラゴンアッシュから入って深掘りしたら古谷建志のニセモノ感に違和感までがセット
でも不良がカッコよに馴染めず緩いニセモノでいいやってなるのが多いと思う
もっとヘンテコラップの話するのかと思ったら、スチャダラパーの話で終わるのかよ。もう懐かしい「オモロ・ラップ」だよ。
mcA・Tはその枠でOK?
m.c.A・Tは先駆者で天才なのでクソダサラッパーと一緒にしないで
歌は上手いけどラップあんまりだぞ
当時からそんな評価
なんかアイドルがーギャングスタがー言ってるけど、日本語ラップ自体がダサいんだって
「下手」ならそりゃ要らんでしょw
HIPHOPという文化はいくつかの形式を大事にするけど、ラップ自体は音楽の一種でしかない
本職ラッパーだって歌唱としては下手なヤツも居るし何を大事にするかの違いでしかない
曲の途中でラップ入れる歌手でうまいのって誰?
ごめん、うまいんか知らんけど好きじゃないわ
てかJ-POPの、ていうスレなのにレゲエ上げてこられても
煽り叩きさせて金稼ぐこのサイトがいらんだろ
曲の途中で入るラップは結構好きだけどな
ラップだけの曲は聴く気にならん
203Ⅹ年同種スレ民「Jポップってダサさで競ってたんか?」「全部ダセーよな」「今後永遠に誰も聴かねえっつーの」
曲の途中に入るラップって変化を加える為の要素の一つだから、ラップとしての完璧な形を求めてるわけじゃないんだよ。だからラップ部分だけを抜き出してどうこう言うようなもんじゃないと思ってる。その上で「さすがにこれはダサい」と思うものもあるけどね。
逆にラップ主体の曲であってもサビがメロディアスな曲も多い。俺はそういう曲は好きだよ。でも延々とラップだけの曲は聴く気になれない。
そもそも一般J-POPと差別化やマンネリ打破しようとしてラップ入れてたりする所もあるからな
ラップ抜いたら二番煎じ落ちするような曲も多い
日本人の多くが嫌うラップって延々クダ巻いてるようなギャングスタのラップでしょ。ラップでも歌詞が詩的であったり、言葉を多く詰め込んだり高速で歌うことによる気持ち良さに比重を置いたものなら好きって人は多いと思う。
ロックがパンクやハードロックなどと細分化されてるようにラップにも様々なジャンルがある。だけど一般的には全く浸透してないし俺も全く知らない。ちょっと調べてみたけど理解不能だった。例えばケツメイシやSOUL’d OUTなんかは何ラップ?
HYのAM11時はラップパートなければ一般普及度がさらに増しただろうなと思う
ABメロサビは良すぎるのにラップパートの存在でカラオケとかで敬遠される要因になってると思う
mihimaru GTは全部バランス良く頑張ってやってたな
槇原敬之の「ほんの少しだけ」はラップのとこが曲にあってて好きだな
soul’d outの「イルカ」みたいなのも同じ感じで好き
クソダサラップ混入歌と言えばFLOWのDAYS。あんな一気に台無しにするかね
バンドがやたらラップパート入れる流れ02~06ら辺にやたら多かったよな
ウーバーの初期の曲もそんな感じの多い
mihimaru GTはAquaを目指してたみたいだけど、所詮二番煎じ
そもそもAquaのオッサンも要らんと思ったことがあるけど、ボーカルのあの独特な甲高い声に対比した重低音ボイスが妙にマッチしてると気付いてから寧ろ好きになった
クリーピーナッツ売れてるかもしれんがマジで良さ分からん
早口は上手いのかもしれんけど、あの人を小ばかにしたような作り声がきつい
ラップ自体が人をこばかにしてるやん(笑)
JPOPとラップを合わせてる感じの曲は良さわからん
B’zのラブファントムは
KanonのEDだな
あれほんと嫌い
1が張り付けてる動画にはラップ要らんな。
ってかバラードにラップ要らんな。ミックスするにしても相性悪い気はする。
根本的に「韻を踏みながら歌う」って基礎的な部分がおそろしく軽視されてたからな、日本
だから歌が海外と比べて平板な印象になる
→せや歌手の歌にラッパー入れたら解決やろ!→ダッサなんやこれ!
で、ようやく「ほな歌手に韻踏ませればええのでは…?」てなったのが令和
J-POPってなん十年たってもダサいままだから ほんますこ
アクセントも日本語にゴリゴリに寄せた方が良いのよね。